品川美容外科の医療過誤事件をめぐり、捜査資料を漏洩したとして地方公務員法違反(秘密漏洩)罪に問われた元警視庁警部の男性被告(58)の審理が東京地裁で進んでおり、14日に開かれた第2回公判には、資料を受け取ったとされる警視庁OB=嫌疑不十分で不起訴=が証人として出廷し、事件を全面自供したことが明らかになった。 無罪を主張し、徹底抗戦の構えの被告人と、「完落ち」状態の証人じゃ、10年来の同志が邂逅した法廷で、被告人席からの鋭い視線を浴びながらも、OBはある「信念」を語り出した。 先月21日に開かれた初公判の罪状認否で、元警部は起訴内容を「えー、OBの自宅に行った事実はありますが、捜査情報を漏らしたような事実は、一切ありません」と全面的に否認し、身の潔白を訴えた。 起訴状や検察側の冒頭陳述によると、元警部は医療過誤などの業務上過失致死傷事件を捜査する警視庁捜査1課特殊班係長だった平成22年11月14日午後6時ごろ、千葉県野田市にあるOBの自宅を訪れ、自宅付近に止めた乗用車内でOBに捜査資料のコピーを渡したとされる。 元警部とOBは、13年3〜8月の間、特殊班で一緒に勤務したことから飲食を重ねる仲となって、OBが21年7月に警視庁を退職した後も親交を続けていたことが判明している。 OBが無職であることを知っていた元警部が病院側と掛け合い、別のOB=嫌疑不十分で不起訴=とともに再就職話をまとめたとされるが、同病院への家宅捜索の際に捜査資料のコピーが見つかったことなどから、資料の漏洩が発覚して、捜査を担当していた現職警部とOB2人が逮捕される、前代未聞の事態に発展した。 元警部は捜査段階から、一貫して漏洩を否定しているが、「資料を受け取った」と認めたOBの供述などを根拠に、同法違反罪で起訴されることになった。 一方、漏洩を唆したとして逮捕されたOBは、もう1人のOBとともに嫌疑不十分で不起訴となり、明暗を分けた。 元警部の有罪を立証したい検察側にとって「キーマン」となるOBが証人として登場したのは、第2回公判で、同じ釜の飯を食べた同志であり、働き口を見つけてくれた恩人でもある元警部を前に、OBはどのような証言をするのか、傍聴人が固唾をのんで見守る中、OBは「あの夜」の出来事を、「午後に自宅にいたところ、元警部から携帯に電話があり『今から行くよ』と言われました」と述べた。 法廷で実名を暴露されたのは、元警部の上司にあたる、当時の捜査1課管理官で、もともと、品川美容外科の事件をめぐっては、医師の「過失」をどうとらえるか、そして、逮捕に踏み切る必要性があるのかどうかについて、警視庁内部でも意見が分かれていた。 元警部は医療過誤事件の専門家として高い評価を得ていたが、「捜査側の思惑によって医師が簡単に逮捕されれば、医療現場が萎縮しかねない」との思いもあったのか、元警部は捜査方針が対立する管理官への不満を漏らしたという。 「医師を逮捕までする必要はない」という元警部の考えに共感したというOBは、法廷でも「元警部は私に少しでも原因究明がやりやすいように、資料を渡したんだと思います」と述べ、実際に、資料を受け取ったOBは、品川美容外科の熊本院や鹿児島院へ出張し、院長らに資料を見せて患者の死因などについて意見を求めるなどしたという。 第2回公判で、元警部に不利な証言を続ける形となったOBだが、検察側から「元警部に伝えたいことはないか」と問われると、「私と元警部は、事故をつぶす(立件を阻止する)という意図は全くありませんでした」、「決して私利私欲に基づいてやったことではありません。医師は逮捕させない、ということでやってきました」と述べた。 事件の背景には、「立件するとしても逮捕ではなく書類送検にとどめたい」という捜査上の「信念」があったことを強調しつつ、最後に、「法に触れていたのは確かなこと。反省しないといけないところはいけない。今後も私は元警部と2人で、非は非として第2の人生を一緒に歩んでいきたいと思います」と締めくくった。
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